互換機

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パソコンの歴史:AT互換機とその影響

昭和59年、国際事務機械という会社が、個人向け事務処理計算機、ピーシーエーティーという機械を売り出しました。このピーシーエーティーは、それまでの計算機に比べて、処理の速さや記憶できる量がとても大きかったため、仕事で使う計算機の定番として、あっという間に広まりました。 このピーシーエーティーの仕組みを真似て作られた計算機のことを、エーティー互換機といいます。エーティー互換機は、ピーシーエーティーと同じように動くため、ピーシーエーティーで使えていた同じ道具立てを、そのまま使うことができました。これが、エーティー互換機が広く使われるようになった大きな理由の一つです。 多くの会社が、エーティー互換機を作って売り出したことで、計算機の売り場は活気づき、値段を下げる競争も激しくなりました。その結果、計算機はより多くの人が手軽に買えるものになりました。使いやすい道具立てが共通で使えたことも、エーティー互換機が選ばれる理由でした。 ピーシーエーティーは当時としては画期的な技術をいくつも採用していました。例えば、計算機の心臓部である中央処理装置や、情報のやり取りをスムーズにする接続口、情報を記憶しておく装置などは、後の計算機の設計に大きな影響を与えました。エーティー互換機は、こうしたピーシーエーティーの先進的な技術を取り入れることで、性能の向上と低価格化を実現し、計算機を広く普及させる礎を築きました。 互換性という考え方は、計算機の世界に大きな変化をもたらしました。異なる会社が作った計算機でも、同じように使えるため、利用者は自分の好きな会社が作った計算機を選ぶことができるようになりました。そして、様々な会社が競争することで、計算機の技術は進歩し、値段は下がり、より多くの人が計算機を使うことができるようになりました。これは、エーティー互換機がもたらした大きな功績の一つと言えるでしょう。
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DOS/V機とは?その歴史と特徴

みなさんは「パソコン」を使う時、色々な種類があることに気づいているでしょうか。中でも、少し前に流行した「ドスブイ機」という言葉を聞いたことはありますか?特に、少し年上の方々には聞き覚えのある言葉かもしれません。ドスブイ機とは、日本語を表示したり入力したりできる「ドスブイ」という基本ソフトが入ったパソコンのことです。今はパソコンといえばウィンドウズが入っているのが当たり前ですが、昔はドスブイ機が日本のパソコン界隈で大人気でした。 そもそも、ドスブイ機が登場する前は、パソコンは日本語をうまく扱えませんでした。そのため、仕事や家庭でパソコンを使うには、英語の知識が必要で、とても使いにくいものでした。そんな中、日本語に対応したドスブイが登場したことで、誰でも簡単にパソコンを使えるようになりました。これが、ドスブイ機が日本で爆発的に広まった大きな理由です。 ドスブイ機の特徴は、価格が安いこと、そして色々な部品を自由に組み合わせられることでした。そのため、自分好みのパソコンを作る楽しみもありました。また、ドスブイはウィンドウズと比べて、パソコンの性能への負担が少ないため、古いパソコンでも快適に動かすことができました。 時代が進むにつれて、ウィンドウズが主流となり、今ではドスブイ機を見かけることは少なくなりました。しかし、ドスブイ機は、日本のパソコンの歴史において重要な役割を果たしました。パソコンを誰でも使えるようにした功績は大きく、今のパソコンの普及にも繋がっていると言えるでしょう。今回のお話を通して、ドスブイ機について少しでも理解を深めていただければ幸いです。
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PC互換機: その歴史と進化を探る

パーソナルコンピュータ(パソコン)が広く普及している影には、「PC互換機」の存在があります。PC互換機とは、一般的に「IBM PC/AT互換機」のことを指し、1981年にIBM社が発売した「IBM Personal Computer」(IBM PC)と互換性を持つパソコンのことです。 IBM PCの登場は、それまでのコンピュータ市場に革命を起こすほど画期的でした。しかし、IBM PCは、その仕様や設計が公開されていたため、多くの企業がIBM PCと互換性を持つコンピュータを製造・販売するようになりました。これが「PC互換機」の始まりです。 PC互換機は、IBM PCと全く同じように動作するため、IBM PC用のソフトウェアを使用することができました。さらに、多くの企業が参入したことで価格競争が起き、より安価に入手できるようになったことも普及を後押ししました。 その結果、PC互換機は瞬く間に世界中に広まり、現在私たちが使用しているWindowsパソコンの主流となりました。IBM PCという革新的な製品が、オープンな設計思想によってさらに進化し、今日のパソコン社会を築き上げたと言えるでしょう。
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パソコン業界の標準!PC/AT互換機とは?

1980年代初頭、事務作業を効率化する機械として登場したパーソナルコンピュータ「IBM PC」は、瞬く間に世界中に広まりました。特に、多くの企業がこぞってIBM PCを導入し、ビジネスシーンにおいて欠かせない存在となりました。 その後の1984年、IBMは「IBM PC/AT」という新しい機種を発売します。このIBM PC/ATは、従来のIBM PCと比べて処理速度や記憶容量が飛躍的に向上しており、より多くの情報をより速く処理することが可能となりました。この進化は、企業の業務効率をさらに向上させる可能性を秘めており、多くの企業がこぞってIBM PC/ATを導入していきました。 このIBM PC/ATの登場と普及に伴い、IBM PC/ATと互換性を持つように作られたパーソナルコンピュータが登場しました。これが「PC/AT互換機」と呼ばれるものです。PC/AT互換機は、IBM PC/ATと同じように動作するため、IBM PC/AT向けに作られたソフトウェアをそのまま利用することができました。
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パソコン互換機:その歴史と進化

1981年、IBM社が送り出したIBM PCは、それまでのコンピュータの常識を覆す画期的な製品でした。しかし、その先進的な技術ゆえに価格が高く、誰もが容易に手に入れられるものではありませんでした。 そんな中、登場したのが「IBM PC/AT互換機」、通称「パソコン互換機」です。これは、IBM PCの技術的な仕様を参考に、IBM社以外の企業が製造・販売したパーソナルコンピュータのことです。 最大の魅力は、IBM PCと互換性を持つソフトウェアが動作する点です。IBM PC用のソフトウェアは種類が豊富でしたが、高価なものが少なくありませんでした。しかし、パソコン互換機であれば、IBM PCと同じソフトウェアを、より安い価格で手に入れることができたのです。 さらに、パソコン互換機は価格競争によってIBM PCよりも低価格で購入できたため、爆発的に普及しました。 結果として、多くの企業がパソコン互換機の開発・販売に参入し、パーソナルコンピュータ市場は急速に成長しました。そして、パソコンは一部の技術者や愛好家だけのものではなく、誰もが手軽に使えるものとして、広く社会に浸透していくことになったのです。
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パソコン普及の立役者、IBM PC/AT

- IBM PC/ATとは1984年、IBM社から発売された「IBM PC/AT」は、それまでのパソコンの常識を覆す画期的な製品でした。「AT」とは「アドバンスト・テクノロジー」の略であり、その名の通り、前機種である「IBM PC」と比べて格段に性能が向上していました。最大の特徴は、16ビットの処理能力を持つ「インテル80286」プロセッサを搭載したことです。これにより、従来の8ビットパソコンと比べて処理速度が飛躍的に向上し、より複雑な計算や大量のデータ処理が可能になりました。また、メモリ容量やハードディスク容量も大幅に増加し、より多くの情報を扱えるようになりました。IBM PC/ATの登場は、ビジネスシーンに大きな変化をもたらしました。従来の大型コンピュータでは不可能だった、文書作成や表計算などの事務処理が、個人のデスクトップで手軽に行えるようになったのです。このことから、企業は業務の効率化を図るため、こぞってIBM PC/ATを導入しました。そして、多くの企業に導入されたことで、IBM PC/ATはパソコンの業界標準としての地位を確立し、その後のパソコン普及に大きく貢献したのです。