歴史

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その他

情報処理振興事業協会:情報技術発展の礎

昭和四十五年(一九七〇年)、高度経済成長期の真っただ中に、情報処理振興事業協会が設立されました。この時代、日本の経済成長を支えるには、情報処理技術を育て、広く普及させることが何よりも重要でした。当時、計算機はまだ黎明期にあり、その活用は大企業の一部に限られていました。国民生活や経済活動のあらゆる場面で計算機が役立つようにし、国全体の生産性を高めるため、情報処理技術の振興を担う中心的な機関として、情報処理振興事業協会が誕生したのです。 協会は産業界・官公庁・学術界の連携を強め、情報処理技術に関する調査や研究、教育や研修、標準の制定、普及や啓発など、様々な事業を展開しました。具体的には、計算機の操作方法に関する講習会を開催したり、企業向けの情報システム構築の相談に乗ったり、情報処理技術に関する最新の情報を提供するセミナーを実施したりしました。また、情報処理技術者を育成するための資格試験制度を整備し、高度な技術を持つ人材育成にも力を注ぎました。 これらの活動を通して、情報処理技術の土台を作り、後の情報化社会の到来に大きく貢献しました。当時の計算機は高価で操作も複雑でしたが、協会は地道な努力を続けました。協会の活動は、計算機の利用を広げ、多くの人々に情報技術の恩恵を与える基礎となりました。情報技術の進歩は目覚ましく、協会は常に時代の変化に対応しながら、情報処理の振興に取り組んでいます。未来の社会を支える情報技術の発展に、協会はこれからも重要な役割を果たしていくでしょう。
ハードウエア

ベル研究所:通信技術革新の礎

1925年、アメリカの電話電信の大手企業であったエー・ティー・アンド・ティー社によって、ベル研究所が設立されました。この研究所は、電気通信の分野における基礎技術の研究開発を行うことを目的としていました。当時、電話は最先端の通信技術であり、その基盤となる技術の研究開発は大変重要なものでした。ベル研究所は、まさにその重要な役割を担う組織として、産業界から大きな期待を寄せられて誕生したのです。 ベル研究所は、設立当初から優秀な科学者や技術者を多数集めていました。彼らは、電話技術の向上に留まらず、電気通信全体の発展に貢献することを目指していました。電気信号を遠くまで伝えるための新たな素材の開発や、より多くの情報を効率的に送受信するための技術の研究など、様々な分野にわたる研究が行われていました。これらの研究は、後の情報通信技術の発展に大きな影響を与えることになります。 ベル研究所の設立は、単に一つの研究所が誕生したという出来事以上の意味を持っていました。それは、電気通信という新しい分野が、本格的な研究開発の段階に入ったことを象徴する出来事でした。電話という画期的な発明が世に出てからまだ日が浅い時代、通信技術の未来は未知数でした。ベル研究所は、その未来を切り開く先駆者として、通信技術の進歩を牽引していく存在となることが期待されていました。そして、その期待に応えるように、ベル研究所は数々の革新的な技術を生み出し、情報通信技術の発展に大きく貢献していくことになります。電話の改良はもちろんのこと、のちのコンピュータやインターネットの技術につながる重要な発見も、この研究所から生まれています。まさに、ベル研究所の設立は、現代の情報化社会の礎を築く重要な一歩だったと言えるでしょう。
開発

COBOL: ビジネス界の古豪プログラミング言語

- COBOLの起源1959年、事務処理を効率化する画期的なプログラミング言語、COBOLが誕生しました。 当時のコンピューターは非常に高価で、扱えるのは専門家のみという状況でした。 そこで、事務処理の現場でも使えるように、英語に近い分かりやすい文法で設計されたのがCOBOLです。それまでのプログラミング言語は、コンピューターの専門家以外には理解が難しいものでした。しかし、COBOLは事務処理の担当者でも理解しやすいように、英語の文語に近い記述でプログラムを組めるように設計されました。例えば、「MOVE A TO B」という命令は、「AをBに移動する」という意味であり、英語の文章のように読むことができます。この分かりやすさのおかげで、COBOLは事務処理の現場で広く普及しました。給与計算、在庫管理、会計処理など、様々な業務システムがCOBOLで開発され、企業の業務効率化に大きく貢献しました。COBOLは、コンピューターを専門家だけのものから、より多くの人が使えるようにした先駆的なプログラミング言語と言えるでしょう。
ネットワーク

インターネットの起源:ARPANET

時は1960年代後半、世界は冷戦と呼ばれる緊張状態にありました。アメリカとソビエト連邦という二つの超大国が、軍事力や技術力を競い合い、世界を二分していたのです。このような状況下、アメリカ国防総省は、軍事研究をより効率的に進めるため、新たな通信技術の開発を急務としていました。 当時、コンピューターは軍事研究において重要な役割を担っていましたが、それぞれのコンピューターは独立して稼働しており、情報を共有するためには、データを持ち運ぶ必要がありました。これは、時間と労力を要する非効率な方法でした。 そこで、複数のコンピューターをネットワークで接続し、情報をリアルタイムで共有するという画期的なアイデアが生まれました。このアイデアを実現するために設立されたプロジェクトがARPANETであり、これが後のインターネットの原型となったのです。 ARPANETは、軍事施設や大学などの研究機関を結ぶネットワークとして開発が進められました。そして、1969年、ついに最初のデータ伝送実験に成功しました。これは、情報通信の革命の始まりであり、世界を大きく変えることとなるインターネット時代の幕開けでもありました。
ハードウエア

パソコンの歴史を作ったCPU、8086とは

1978年、インテル社から画期的なマイクロプロセッサ「8086」が発表されました。8086は、それまでのマイクロプロセッサと比較して処理能力が飛躍的に向上しており、後のパーソナルコンピュータの普及に大きく貢献することとなりました。 8086の大きな特徴の一つに、16ビットのデータバス幅を持っていたことが挙げられます。これは、一度に16ビットのデータを処理できることを意味し、8ビットマイクロプロセッサに比べて約2倍の処理速度を実現していました。また、8086は最大で1メガバイトものメモリ空間を扱うことができました。これは、当時のマイクロプロセッサとしては画期的な容量であり、大規模なプログラムを実行することを可能にしました。 さらに、8086はセグメント方式と呼ばれる独自のメモリ管理方式を採用していました。これは、メモリ空間を複数のセグメントに分割して管理する方式であり、限られたメモリ空間を効率的に利用することを可能にしました。このセグメント方式は、後のインテル製マイクロプロセッサにも受け継がれ、今日のコンピュータシステムにも影響を与えています。