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ハードウエア

基幹システムを支える大型汎用機

大型汎用機、別名メインフレームとは、会社や組織の最も重要な業務を支える、非常に高性能で信頼性の高い計算機システムのことです。何十年もの間、銀行、役所、大きな会社などで使われ続け、たくさんの情報の処理や複雑な取引の管理などを担ってきました。その頑丈さと安定性から、社会の基盤の一部として重要な役割を担っています。 近年、情報のやり取りをインターネット上で行う仕組みが広まりつつありますが、大型汎用機の重要性は変わりません。多くの会社にとって、今でもなくてはならないものです。特に、絶対に失敗できない重要な仕組みにおいては、その信頼性と安定性は他の仕組みでは代わりにならないほどの価値を持っています。 大型汎用機は、大量の情報を高速で処理することに特化して作られています。例えば、銀行の預金引き出しや振込、クレジットカードの決済など、毎日膨大な数の取引を安全かつ正確に処理することができます。また、一度にたくさんの人が同じ仕組みを使う場合でも、安定して動作するように設計されています。これは、何千人、何万人という人が同時にインターネットバンキングを利用しても、問題なく処理できることを意味します。 長年の運用で培われたノウハウや技術も、大型汎用機の大きな強みです。複雑な仕組みを安定して動かすためには、高度な専門知識と経験が必要です。大型汎用機には、そうしたノウハウや技術が蓄積されており、これが安定稼働を支えています。また、新しい技術を取り入れながらも、過去の仕組みとの互換性を維持することで、長期間にわたって安心して利用できるようになっています。 このように、大型汎用機は、社会の重要な仕組みを支える信頼性の高い計算機システムです。新しい技術が登場しても、その重要性は今後も変わらないと考えられます。
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PS/2ポート:昔ながらの接続口

昔のパソコンには、キーボードやマウスをつなぐ特別な差し込み口がありました。それがピーエスツーポートです。この差し込み口は、1987年にアイビーエムという会社が作った「ピーエスツー」というパソコンで初めて使われました。今ではあまり見かけませんが、ピーエスツーポートは丸い形で、中に小さな穴が6つ並んでいます。キーボードとマウスを間違えないように、色は紫色と緑色で分けられています。紫色はキーボード、緑色はマウスです。 パソコンの技術はどんどん進歩し、今ではユーエスビーという差し込み口が主流になっています。ユーエスビーは様々な機器を接続できる便利な差し込み口で、ピーエスツーポートに比べると多くの利点があります。例えば、パソコンの電源が入っていても機器を抜き差しできる「ホットプラグ」に対応しています。しかし、ピーエスツーポートにも安定した通信を維持できるという良さがあります。いったん接続すれば、通信が途切れる心配が少ないのです。また、ユーエスビーよりも電気をあまり使わないという特徴もあります。 そのため、ピーエスツーポートは今でも一部の会社のパソコンや工場で使われる機械などで使われています。特に、安定した動作が求められる場面では、ピーエスツーポートの信頼性が評価されているのです。新しい技術が登場しても、それぞれの良さがあるため、ピーエスツーポートのように古い技術も特定の分野では生き続けていることがあります。
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PS/2コネクタとその歴史

PS/2つなぎ口は、かつて広く使われていたキーボードとマウスをつなぐための入り口です。丸くて小さな形で、6つの金属の接点を持つミニDINつなぎ口と呼ばれる種類です。色は紫色と緑色に分けられており、紫はキーボード、緑はマウスと決まっていました。 このつなぎ口の名前の由来は、1987年に発表された「PS/2」という名前の事務用計算機にあります。この機械で初めてこのつなぎ口が使われたため、「PS/2つなぎ口」と呼ばれるようになりました。PS/2が登場する前は、キーボードやマウスは、直列の入り口や、それぞれの機器専用の入り口につながれていました。しかし、PS/2の登場によって、これらの機器をもっと手軽につなぐことができるようになりました。 PS/2つなぎ口は、小さくて扱いやすいという特徴がありました。そのため、長い間、多くの事務用計算機で使われてきました。PS/2の登場により、事務用計算機の使い勝手は大きく向上しました。複雑な設定を必要とせず、誰でも簡単にキーボードやマウスを利用できるようになったのです。 しかし、時代が進むにつれて、USBという新しいつなぎ口が登場しました。USBは、PS/2よりも多くの種類の機器をつなぐことができ、電力供給も可能という利点がありました。そのため、次第にUSBが主流となり、PS/2つなぎ口は姿を消していきました。現在では、ほとんどの事務用計算機でUSBが使われており、PS/2つなぎ口を見ることは少なくなりました。それでも、PS/2つなぎ口は、かつて事務用計算機の進化に大きく貢献した重要な技術の一つと言えるでしょう。
インフラ

AIX入門:安定稼働で知られるOS

「概要」とは、物事の簡潔な説明のことです。今回説明するのは、「先進的な対話型実行環境」を意味する「advanced interactive executive」の頭文字を取った「AIX」と呼ばれるものです。これは、国際事業機械という会社が開発し、提供している「UNIX」という系統の「OS(基本ソフト)」です。「OS」とは、計算機を動かすための基本となる仕組みのことです。「AIX」は、その頑丈さと安定性が非常に高く評価されており、特に、銀行や大きな会社の中核となる仕組みのような、高い信頼性が求められる環境でよく使われています。 「AIX」は、国際事業機械の「POWER」という処理装置を組み込んだ計算機で動くように設計されています。処理装置とは、計算機の中枢となる部品のことです。「AIX」は、この処理装置と基本ソフトが密接に連携するように工夫されているため、非常に効率的に動作します。そのため、高い処理能力と信頼性を両立させることが可能となっています。 長年にわたり積み重ねてきた実績と信頼性から、多くの会社にとって「AIX」は重要な仕組みの土台となっています。「AIX」は、変化の激しい情報技術の世界においても、その信頼性と安定性を武器に、これからも多くの企業を支え続けることでしょう。まるで、巨大な建物を支える強固な基礎のように、「AIX」は様々な企業の活動を陰で支えているのです。
ハードウエア

DOS/Vの普及と日本のパソコン市場

DOS/Vとは、1990年に日本アイ・ビー・エム株式会社が発表した、家庭向け計算機の基礎となる仕組みのことです。それ以前は、日本語を使うには特別な装置や仕組みが必要で、価格も高いものでした。DOS/Vが登場する前は、計算機はどれも高価で、限られた人しか利用できませんでした。なぜなら、日本語を表示するには、特別な装置や複雑な仕組みが必要だったからです。 DOS/Vは、比較的値段の安い計算機でも日本語を扱えるように作られました。そのため、多くの製造会社がDOS/Vに対応した計算機を販売するようになりました。これにより、計算機の値段が下がり、一般家庭にも普及していくきっかけとなりました。DOS/Vの登場は、計算機の世界に大きな変化をもたらしました。今まで高価だった計算機が、より多くの人にとって手の届くものになったのです。 従来の計算機は、機種ごとに日本語表示の仕組みが異なっていました。そのため、機種が異なると同じ仕組みが使えないといった互換性の問題がありました。例えば、ある機種専用の文書作成仕組みを、別の機種では使えないといった不便さがありました。異なる会社が作った計算機同士で情報をやり取りするのは、非常に困難でした。 DOS/Vは、アメリカのマイクロソフト社が作ったMS-DOSという仕組みを基に、日本語表示の機能を追加したものです。多くの機種で同じように動くため、互換性の問題を解決しました。どの会社の計算機でも同じように使えるため、情報のやり取りがスムーズになりました。これは、まるで異なる言葉を使う人々が、共通の言葉で話せるようになったような画期的な出来事でした。 この互換性のおかげで、仕組みを作る会社が増え、様々な用途に対応した仕組みが作られるようになりました。文書作成や表計算、ゲームなど、多様な仕組みが開発され、計算機は仕事だけでなく、娯楽にも活用されるようになりました。このように、DOS/Vは、日本の計算機市場に大きな変化をもたらしました。DOS/Vの登場によって、計算機は専門家だけの道具ではなく、誰もが使える便利な道具へと変化していったのです。
開発

FORTRAN:科学技術計算の立て役者

- 初期の高級言語1956年、IBM社にて画期的なプログラミング言語が誕生しました。それが「FORTRAN」です。その名の由来は「Formula Translation(数式翻訳)」にあり、当時としては非常に画期的なものでした。コンピュータ黎明期において、機械への指示は「機械語」と呼ばれる複雑な記号の羅列によって行われていました。これは人間にとって理解が難しく、プログラム作成の大きな障壁となっていました。FORTRANの登場はこの状況を一変させます。FORTRANは、人間にとって比較的理解しやすい数式に近い形でプログラムを記述できる「高級言語」と呼ばれる言語の先駆けとなりました。これにより、従来よりもはるかに効率的にプログラムを作成することが可能となり、科学技術計算の分野を中心に広く普及しました。FORTRANの登場は、その後のプログラミング言語の発展に大きく貢献しました。人間にとってより分かりやすく、使いやすい言語の開発が促進され、コンピュータの利用範囲は飛躍的に拡大していくことになります。
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パソコン業界の標準!PC/AT互換機とは?

1980年代初頭、事務作業を効率化する機械として登場したパーソナルコンピュータ「IBM PC」は、瞬く間に世界中に広まりました。特に、多くの企業がこぞってIBM PCを導入し、ビジネスシーンにおいて欠かせない存在となりました。 その後の1984年、IBMは「IBM PC/AT」という新しい機種を発売します。このIBM PC/ATは、従来のIBM PCと比べて処理速度や記憶容量が飛躍的に向上しており、より多くの情報をより速く処理することが可能となりました。この進化は、企業の業務効率をさらに向上させる可能性を秘めており、多くの企業がこぞってIBM PC/ATを導入していきました。 このIBM PC/ATの登場と普及に伴い、IBM PC/ATと互換性を持つように作られたパーソナルコンピュータが登場しました。これが「PC/AT互換機」と呼ばれるものです。PC/AT互換機は、IBM PC/ATと同じように動作するため、IBM PC/AT向けに作られたソフトウェアをそのまま利用することができました。
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PC/AT:IBM PC互換機時代の幕開け

- PC/ATとは「PC/AT」とは、「IBM Personal Computer/Advanced Technology」の省略形で、1984年にIBM社が発表したパーソナルコンピュータのことです。 前機種であるIBM PCの成功を引き継ぎ、処理速度や拡張性の向上など、様々な面で進化を遂げました。PC/ATの最大の特長は、従来のフロッピーディスクよりも大容量のハードディスクドライブを標準搭載したことでした。 これにより、より多くのデータを保存することが可能となり、ビジネス用途での利用が大きく広がりました。また、CPUにはインテル社の80286を採用し、処理速度が大幅に向上しました。さらに、拡張スロットの数も増え、様々な周辺機器を接続することができるようになりました。これらの進化により、PC/ATはIBM PCと比べて高性能なパーソナルコンピュータとなり、多くの企業や官公庁に導入されました。また、PC/ATの登場は、その後のパーソナルコンピュータの標準的な仕様を確立する上で大きな影響を与えました。例えば、現在でも広く使われている拡張スロットの規格である「ISAバス」は、PC/ATで初めて採用されたものです。PC/ATは、パーソナルコンピュータの歴史において重要な転換点となった機種の一つと言えるでしょう。
開発

PL/I:汎用プログラミング言語の功績と変遷

- PL/Iとは1960年代、コンピュータの世界では用途に合わせて異なるプログラミング言語を使い分けるのが主流でした。例えば、科学技術計算にはFORTRAN、事務処理計算にはCOBOLといった具合です。しかし、複数の言語を使い分けることは、プログラマーの負担を増やし、開発効率を低下させる要因にもなっていました。そこでIBM社は、FORTRANとCOBOLの利点を統合し、両方の用途を1つの言語でカバーできる、より汎用性の高いプログラミング言語の開発に乗り出しました。こうして誕生したのがPL/Iです。「Programming Language One」、つまり「唯一のプログラミング言語」を目指して設計されたPL/Iは、当時としては画期的な存在でした。PL/Iは、FORTRANの持つ科学技術計算の処理能力と、COBOLの持つ事務処理計算の柔軟性を兼ね備えていました。さらに、当時としては先進的な機能を多く取り入れており、多くのプログラマーから期待を集めました。しかし、複雑な仕様や当時のコンピュータの性能不足などが原因で、PL/Iは広く普及するには至りませんでした。それでも、PL/Iは後のプログラミング言語に大きな影響を与え、その設計思想は現代のプログラミング言語にも受け継がれています。
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PowerPC: アップルを支えた強力な頭脳

1991年、コンピューター業界に激震が走りました。当時、業界を牽引していたアップル、IBM、モトローラという三社の巨人が、手を組んだというニュースは、多くの人々に驚きをもって迎えられました。三社が共同で開発に乗り出したのは、「PowerPC」と名付けられた新しいマイクロプロセッサーです。 当時のマイクロプロセッサーは、複雑な命令セットを持つCISC型が主流でしたが、PowerPCはより高速な処理を可能にするRISC型を採用しました。RISC型は命令セットを簡略化することで、処理の高速化を図る設計思想です。このPowerPCの登場は、パーソナルコンピューターの高性能化を一気に加速させる存在として、大きな期待を集めました。 従来は、それぞれ独自の戦略で開発を進めていた三社が、PowerPCの開発で協調路線を歩み始めた背景には、マイクロソフトとインテルによる「Wintel」連合の市場席巻がありました。PowerPCは、このWintel連合に対抗し、コンピューター業界の勢力図を塗り替える切り札として期待されていたのです。
開発

OS/2:IBMとマイクロソフトが生み出したOS

- OS/2とはOS/2は、1987年にアメリカの巨大コンピューター企業であるIBMと、ソフトウェア開発で有名なマイクロソフトが共同で開発した、パソコン向けのオペレーティングシステムです。当時、パソコンといえばMS-DOSが主流でしたが、OS/2はその後継となるべく開発されました。MS-DOSは、一度に一つの作業しかできないという制限がありましたが、OS/2は複数の作業を同時に行える「マルチタスク」に対応していました。そのため、文書作成を行いながら、同時に表計算ソフトを使うといった、効率的な作業が可能になりました。また、MS-DOSでは文字のみの画面でしたが、OS/2では視覚的にわかりやすい「グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)」を採用し、より直感的な操作を実現しました。OS/2は「Operating System/2」の略称で、IBMのパーソナルコンピューターであるPS/2シリーズに搭載されたことから、その名が付けられました。しかし、その後IBMとマイクロソフトの開発方針の違いから、両社は共同開発を解消することになります。結果として、OS/2はマイクロソフトのWindowsに市場を奪われることになりましたが、安定性や堅牢性に優れていたことから、一部の企業やユーザーの間では根強い人気を誇りました。